【節約】蓄財のためには、”浪費・消費・投資”の区分よりも”地位財・非地位財”の区分の方が大切

節約

こんにちは、バフェットソローです。

支出を”浪費・消費・投資”に分けて”浪費”を減らして”投資”に回そうという論はよく言われていると思います。この区分自体は重要ではあると思います。ただ、この区分だけだと蓄財には不十分であり、蓄財のためには”地位財・非地位財”の区分の方が重要であると考えています。

その理由は、地位財への消費は無限に続いてしまい、さらに人生の満足感についても持続的に得にくいと考えているからです。この記事では、このことについて書きたいと思います。

”浪費・消費・投資”の区分

支出を下記のように”浪費・消費・投資”に分けて議論されることがよく見られます。

消費:生活に必要な支出。食費、家賃、日用品、家具家電

浪費:生活に必要のない支出。主に娯楽や競争の支出。お酒などの嗜好品、趣味、宝飾品

投資:将来の収入増に繋がる、または、将来の生活向上に繋がる支出。書籍、教育費、ツールの購入

資産を増やすためには、”浪費”を減らして、”消費”と”投資”に支出を集中させ、さらにできるだけ”投資”に回すことがよく推奨されています。この区分自体は重要ではあると思います。

ただ、下記の理由で、個人的には、この区分”だけ”では節約には効果が薄いと考えています。

これは”投資”なんだ、”必要”なんだと、自分に言い訳できてしまう

その人の置かれている環境によってその区分が違う

”浪費”を避けるというのは、人生の楽しみや豊かさを削ってしまうことになる。そのため、ストレスが貯まり、逆に豊かさにも結びつかない真に無駄な支出が増える可能性がある

余談になりますが、

”浪費”の中には本当にただお金をドブに捨てたような支出もあるかと思いますが、”浪費”の中には人生の楽しみに繋がっている支出が多くあると思います。

そのため、私としては、むしろ減らすべきは”消費”(と本当に無駄な浪費)であると考えています。下記の記事でも触れております。

”消費”を減らして”浪費”に回したほうが豊かな生活が遅れるというのは、小説家の森 博嗣さんの著書”お金の減らし方”ですごく良い説明をされています。

これもまた別記事で一度書きたいと考えています。

”地位財”と”非地位財”

地位財・非地位財とは、アメリカの経済学者 ロバート・H・フランクさんの本 ”幸せとお金の経済学” で下記にように記載されています。

地位財 : 他人との比較優位によってはじめて価値の生まれるもの。

(例:所得、社会的地位、教育費、車や家などの物的財)

非地位財 : 他人が何を持っているかどうかとは関係なく、それ自体に価値があり喜びを得ることができるもの。

(例:休暇、愛情、健康、自由、自主性、社会への帰属意識、良質な環境など)

”幸せとお金の経済学”, ロバート・H・フランク

東洋経済さんの下記の記事でも触れられています。

年収1億円で劣等感ある人が不思議じゃない訳
資産が40億円もあるのに幸せを感じられない。それどころか「日本一の不幸」に苦しんでいる……。私たち庶民は、「40億円も持っているのに、そんなわけないだろう」と思ってしまいがちです。しかし、この人は実在す…

地位財の具体例

例えば、就職におけるスーツが地位財として上げられています(スーツで採用が決まる会社はどうかと思うというツッコミは置いておいて・・)。

ある求職者が面接用のスーツに余分なお金をかけたとします。この場合、他の人たちは同じように余分なお金をかけるか、さもなければ二次面接に進むことをあきらめるしかありません。しかし、すでに述べたように、全員が余分なお金をスーツにかけた場合には、職を得る可能性は誰にとっても変わらないのです。

”幸せとお金の経済学”, ロバート・H・フランク

また他には、筆者の体験として、ネパールの村の”豪邸”に滞在した時の話があげられています。

….志願者としてネパールの農村地域に2年駐在しました。その間住んでいたのは、水道も電気もない2部屋だけの小さな家でした。それでも、暮らしていた村にあるほとんどの家よりも広々としていて、住み心地もよかったため、それに不満をもつことはありませんでした。

しかし、もしニューヨーク州のイサカで同じ家に住んでいたとしたら、標準よりかなり下だと考えたでしょう。子どもたちは自分の家を友だちに見られることを恥ずかしく感じるに違いありません。

”幸せとお金の経済学”, ロバート・H・フランク

関連し、アメリカの住居の平均面積の伸びは給与の伸びよりも大きくなっており支出に占める割合が年々上がっていることが述べられていました。

日本でも、タワマンの階数などや、住んでいる地域(中央・千代田・港区など)の格付けみたいなのが当てはまるかと思います。

また、個人の支出ではないですが、”軍拡競争”が地位財のアナロジーとして上げられています。

つまり、戦争においては、相手に勝つことが重要であるため、自分が以前よりどんなに強くなったとしても、相手が自分より強かったら負けてしまいまうので、相対的な強さが重要。そのため、際限の無い拡大競争に突入してしまいます(してしまっています)。

地位財への支出をやめて、非地位財にお金を使うことが、節約&人生の満足度が上がる

支出をする際には、今この支出はどちらに所属するのかを意識して、地位財である場合には、本当に必要なのか、自分が(長期的にも)豊かになるのか、を考え、なるべく地位財への支出をやめて、非地位財にお金を使うことが、節約にもなるし、人生の満足度も上がることになると思います。

その理由は下記2つであると考えています

① 地位財は無限に続くラットレース

簡単に言うと、皆が平均以上を取ることはできないため、皆が地位財への支出によって満足を得られることがないためです。

地位財に支出すると、一時的な満足感は得られるかもしれないが、他の人がそれより上回ったり、また上には上がいることが多いです(例えばベンツを買って自慢していても、世の中にはランボルギーニ乗っている人もロールスロイスに乗っている人もいます)。

また、一度優位にたったとしても、周りが同じレベルの消費をしたらその優位性が消えてしまいます(上の例で、就職のための良いスーツ)。そのため、また優位に立つために、さらに新しい支出をすることになり、また他が追いつきと、無限に続くレースになってしまいます。

つまり、自分の稼ぐ力が相対的に高くならない限り、長期的な満足度は得られないのです。

私は、やや極端ですが、下記を地位財かどうかの自問自答方法としてます。

世界にたった一人しかいなかったとしても、それを本当に買いますか?

② 地位財は競争・技術の進歩の恩恵を受けにくい

技術の進歩と競争によって、”本当に必要なもの”モノの質はどんどん上がり、新しいものが生まれ、競争によってコモディティ化していっています。そのため、同じ種類・質のモノは基本的には安く買えるようになります。それによって、人類の全体的な生活の向上が計らえれていると考えています。

ただし、地位財は相対的な価値での判断なので、技術の進歩と競争の結果コモディティ化したモノは地位を与えないため

”本当に必要なもの”はどんどん安く買えるようになっているという考えは下記理由からです(別の記事で詳細に書きました)

本当に必要なものは、人や国によって大きく変わらないため、大量生産される

本当に必要なものは、昔からあるため、あらゆる場所で質の改良・生産効率化が繰り返されている

本当に必要なものは、もう既に十分な競争環境にあるため、コモディティ化している

本当に必要なインフラは、国や自治体によってかなり整備が進んでいて安価でそのサービスが利用できる(インターネット、電気や上下水道など)

満足度が高い支出 = ”非地位財” + ”十分にコモディティ化された商品” + ”本当に好きなモノへの浪費”

他の考えも含めてまとめると、満足度が高い支出は、“非地位財”+”十分にコモディティ化された商品”+”本当に好きなモノへの浪費”ではないかと考えます。

これについても今後掘り下げて考えていきたいと思います。

ではでは。

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